水路

生活、まれに音楽

予想図設計者

「最近いいことありましたか?」
「特には」
「そうですか」
「何?」

いつまでもこのままでいたいと願うのは簡単。でも時は常に流れているし、それを止める術も知らない。もし同じ場所に留まり続けたとしても周囲は否応無しに変化する。それはもう「このまま」ではない。
では新たな場所へ赴いたとしたら?そして、幸運にも、そこで一定の成功を収められたら?過去に置いてきた自分を事あるごとに思い出し後悔するだろう。

全てにはなれず、どれかひとつ選ばなくてはならない。そしてその期限はすぐそこまで来ている。

200m先のT字路を直進してください

ひとつのイベントが終わった。達成感を得た。それに付随して予想外のハプニングが起きた。悲しいというよりむしろ嬉しいものだった。気持ちが弾んだ。しかし爆弾を首に巻いた、というか巻かれた。息がしづらい。ミスを犯した。さらに息苦しくなった。背後を見た。退路が断たれていた。喉元までせり上がる不安と後悔。楽しい気持ちが消えた。



背負う期待が大きくなるほど、足取りは重くなり右に左にふらふら。常日頃からしがらみに囚われているというのに、息抜きさえままならなくなった。この肩にのしかかる期待を下ろしてどこか遠くへ行きたい。走って走って肺が空になるまで走って、そのまま崖から飛び降りてしまいたい。


行動や発言の責任がすべて自分に帰結するが故やっていた。それはもう好き放題に。でも、もしそこに他人が介入するというなら話は変わってくる。なぜなら、自分の一挙手一投足が他人への迷惑を孕んでしまうから。ではその迷惑の責任は誰が取る?もちろん自分。取りきれるのか?おそらく無理。ならどうする?やめるか消えるかの2択でしょうね。


せめて燃え尽きる覚悟があったなら。残念ながらそんなものどこにもない。八方塞がりだ。

年年

眠いと思った数秒後には目が覚めるし、疲れた途端元気になって、外出したい気持ちと布団に篭りたい気持ちが同居しており、視界はキラキラしつつ泥まみれ、虚しさ、満足、焦燥、平穏。思考があらゆる直線上を忙しなく行ったり来たりしている。言葉は壁に当たって屑籠へ落ちた。



濡れたズボンの裾が乾いていくのを眺めている。ビニール傘越しの交差点、赤信号がぼやけて割れた。意識と無意識の間を揺蕩っていたい、揺籃の時期はとうに過ぎた、仲間たちは既に旅立ち部屋に1人。エアコンのスイッチを押す。冷たい風に雑念を乗せて心も体も空。平日は無曜日、週末は虚曜日。そういえばどこかに52回繰り返して元に戻る単位があるらしいですね。


一聴すると柔らかいが、その実きめの荒いドローンのように、触れば擦りむく板の上を裸足で歩いている。足に刺さったささくれが踏み出すたびに痛む。踏み出す、痛む。また踏み出してまた痛む。このままどこまで行けると思いますか?

ねじれの位置

太陽がさ、優しくしてくれるから勘違いしちゃったよ、まだ5時にもなってないじゃないか。そうやって好き勝手甘やかして、いつの間にかまた自分から遠ざかっていくんでしょう?まったく嫌になっちゃう。でもまぁ、あと少しその優しさに甘えていたいな。もう2週間もないけれど。

この季節は日が伸びていくから良い。暗いと気が滅入るから、なるべく太陽に触れていたい。まだ梅雨にもなっていないけれど、すでに真夏が恋しい。


初夏。誰も乗っていない電車とホームにあなたと自分、それぞれ立っている。他愛のない会話の中、刻一刻と迫る時間。言いたいことばかりが言えない。喉まで出かかっているのに。
「また連絡するね」
アナウンスとともに扉が閉まる。できるかぎりの笑顔を作る。車内のあなたは微笑んで軽く手を振ってくれた。電車はゆっくり動き出し、ホームから去っていった。
頭に浮かんでは消えていく思い出の数々。言えなかった思いが目から溢れて、消えない跡を頬に残す。今まで沢山の機会を逃してきた。きっとこれからもそう。

ネオン

都会の夜、交差点で信号待ちしている車から漏れ聞こえるクラブミュージックと、オフィスビルの隙間に覗く月。隣で若い女の子たちが誰が誰と付き合ってるとか、週末はどこに行こうかとか他愛のない話をしている。暑くも寒くもないこの時期、少し季節が迷子になっている気がする。



行為や言動が及ぼす力を考えていた。人に囲まれ生活している以上、他人から干渉されずにいるのはほぼ不可能だし、逆もまた然り。人は知らず知らずのうちに言葉や動作で他人に干渉している。
なにげない発言が、振る舞いが、誰かの未来を決定的に変えるかもしれない。気づいていないだけで、運命の分かれ道はそこかしこにある。今この瞬間だってそう。
では、自らの発言や行動で他人の人生を変えてしまったとして、どこまでそこに責任を持てるだろうか。無意識によるものならまだしも、意識的に変えたならば、どこまでもその責任を負わなければならないのだろうか。

柔らかい帝国

車に轢かれて死んだネコは、自分を轢いて殺した人ではなく、そのあと2度目に轢いた人を呪うらしい。



正午を知らせるチャイム。日付と噛み合わぬ気温の高さは、春を通り越してもう夏だ。
待機中という言葉が似合う。何かに没頭したいのに緊張感がそれを妨げる。手元のケータイは通知をオンにして充電器の上。「鳴るな」と祈りながら机に突っ伏している。微睡みと不安がせめぎ合っている。時計を見たくない、時が進むのが怖いから。


安息の延長を持て余し夜の住人になって早1ヶ月。何らの抑圧から解放されて、今日も良い天気だなんて惚けている。今こそが、求めていた日々だと気づいた。でもしばらくすればまた嵐のような日常がやってきて、心を潰し体力を奪っていく。せめてそれまではこの平穏に浸かっていたい。

双六でいうなら

調子に乗った結果、ここ数年間で積み上げたものが崩れた。いや、崩したというべきか。また最初からやり直し。一度降りた山を再び登るのは大変だ。その辛さを既に知っているので尚更。


幸せより不幸でいるほうが生の実感を得やすい。苦しみに悶える自分を背後から眺める。そのときが最も生きていると感じる。辛さも一定のラインを超えると笑えてくるので、そうなるまでひたすら耐える。もし耐えられなかったら、すべて終わらせてしまえばいい。