水路

生活、まれに音楽

無題

高校時代を振り返る。空っぽの日々だった。クラスの隅で息を潜める生活をおくっていたわけではない。休み時間に談笑する同級生はいたし、部活をやっていたから先輩や後輩もいた。しかし、深い仲になった人は一人を除いていない。そしてその人とも卒業を機に疎遠になってしまった。とにかく何もなかった。本当になにも。


仕事でとある高校に来ている。今は休憩中だ。慌ただしく動き回るスタッフを横目に現場を抜けた。静まり返った廊下を歩く。窓から見える校庭には誰もいない。隅にロケバスと機材車が止まっている。

廊下の奥から何か聞こえてくる。ピアノの音だ。誰かいるのだろうか。今日は休日だし、なにより校舎ごと貸し切っているから生徒はいないはずだ。
徐々に大きくなるピアノの音色に耳を傾けながら歩いていくと、音楽室にたどり着いた。
ドアが少し開いている。隙間から中を覗く。教室の端に並べられた椅子と譜面台、壁には音楽家肖像画。そして部屋の奥にピアノが置かれている。
弾いているのは同僚だった。以前習っていたことがあるとは言っていたが、実際に弾いているのを見たのは初めてだった。鍵盤の上を滑る指と真剣な眼差し。あまりに綺麗で、絵画のような光景だった。
うっかりドアに足が当たる。ゴンッという音と同時に彼女が顔を上げる。目が合った。
一瞬の驚いた顔を経てすぐいつもの気怠げな表情になった。
「いつからそこにいたんですか?」
そう言うと彼女は立ち上がりこちらに歩いてきた。ドアを挟んで向かい合う。
「覗き見するなんて趣味が悪いですね」
謝ると「べつに。気にしてないですよ」と返ってきた。頰が赤いのは窓から差し込む夕日のせいだろう。
「そろそろ休憩も終わるし戻ろうか」
はぁい、という彼女の気の抜けた返事とともに元来た廊下を歩いていく。